皮膚の千切れる音が、した。
 ブチリ、と鈍い音が小さな波長を作りながら鼓膜へと入ってくる。不愉快極まりないその音は、暫くしてからまた聞こえてきた。十分も経たない内に、グチグチという水気を含んだ音に変わる。溜息を一つ吐いて、不愉快な音の音源へと声を掛ける。
「……おい」
「……」
 返事は、ない。返事を期待する方がどうかしているのだが、兎に角話は聞いてもらわないと困る。
「自分の指の肉噛むの止めろ。血ィ出てんだろ。」
 返事は相変わらずなかったが、代わりに指が口元から離れていった。血は未だに指から滲み出ているが、それは後でどうとでもなるので放っておく。

「なあ、自分よりも俺を噛めよ。」
 言ってから、しまった、と思ったが時既に遅し。緩やかな動きでこちらに向かってくる。そして、ポスっと音を立てて目の前のソファに腰を下ろした。
「はい。どーぞ。」
「……は?」
 差し出されたのは、さっきまで噛んでいたであろう事が容易に想像出来る、血が滲み、僅かに滴っている右手。それを一体どうしろというんだ全く。
「あたしの右手。好きなようにして。」
「お前な……」
 それをして、一体俺が何の得になるというのか、一度教えて欲しいものだ。それに、俺は『俺を噛め』と言ったのであって、何も言うことを聞くとは一言たりとも言ってない。仕方なしに血を拭い、真新しい絆創膏で傷を塞ぐ。
「あんたは……あたししか、見ちゃいけないの……!! あたしだけを見て、あたしだけを構ってよ……」
「……萌」
 こうなるのは、いつだって寂しいときだ。頼れる者は俺しかいないからか、いつも溜め込みすぎて爆発する。
「なあ、萌。ちょっと来いよ。」
 そろりと目の前に立った萌を、引っ張り寄せて抱き締める。そのままの状態で、出来る限り優しく囁く。
「……安心して。俺はお前がいないとだめだから。お前がいないと、俺死んじゃうよ。だから、そんな事言わないで? 大丈夫、俺はお前しか見てないし、本当に構ってるのはお前だけだから。」
 抱き締めていた腕を解こうとしたら、向こうから握られていて離せなかった。
「……ねえ、名前。名前、呼んで。」





(俺≠お前なのに。俺≠お前だから)





H22.1.12